序 変わらない確かなものを
昔イスラエルの王であったダビデは、詩編119篇105節で「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です」と言っています。
だれにとっても人生は始めて通る道です。そしてただ一度しか通れない道です。
知らないところに行く時は、地図や案内書がいるように、人生にも案内書が必要です。確かな案内書がなければ安心して歩いていくことができません。
そんな人間に対して、人生のみちびきとして与えられたのが神の言葉である聖書です。暗い夜の海を航海する船は、灯台の光を頼りにします。その光によって危険な場所を避け、安全な航海をすることができます。聖書の言葉は、人生の航海において、多くの人々を安全に導いた神よりの光です。

1、 人生の確かな基準
人々がその人生の基準としているものは様々なものがあるでしょう。
著名な人の言葉や生き方、親や学校の先生が教えてくれた言葉、生まれ育った国や地域での生活習慣、学校や会社、国が定めた法律などを踏まえながら、生まれ育ってきた環境によって、私たちの考え方や生き方も培われてきたものと思われます。
もしも自分が、違う国で、あるいは違う時代に産まれていたらどうだっただろうかと考えたことがあるでしょうか。戦国時代の農民に産まれていたら、北朝鮮のような国に産まれていたら・・・きっと今のような考え方や生き方はしていなかったのではないでしょうか。
人間の考えというものは、環境の違いや時代の違い、時の流れなどによって移り変わるものです、そのように移り変わるものは確かな基準とはなりません。
しかし、聖書の言葉、神の言葉は時代が変わっても変わることがないのです。そして、神の約束されたことは必ず実現するのです。それこそが確かな基準と言えるのではないでしょうか。
1ペトロの手紙1章23節以下には次のように言われています。
「あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。こう言われているからです。「人は皆、草のようで、/その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、/花は散る。
しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです。」イザヤ書40章8節
2 聖書の永続性
ヘンリー・シーセンという神学者は、「25年以上その生命を保つ本の率はきわめて低く、百年となるとさらに低くなり、一千年も寿命の続いた本というのは、きわめてわずかなものであることを考えるとき、聖書が他に比べることができない独特の本であることに気がつく」と言いました。
聖書ほど迫害をうけた本もありません。聖書を読むことは度々禁じられまた焼かれました。それにもかかわらず聖書は今日まで生き残ってきたのです。
ローマ帝国のディオクレチアヌス皇帝は、聖書焼き払い令を帝国全土に出し、キリスト教徒に対する激しい迫害を行って聖書を撲滅しようとしました。イエス・キリストが十字架の死を遂げて以来、約300年にもわたってキリスト者とキリスト教会は、イエス・キリストの福音を宣べ伝えたという理由で激しい迫害を受け、多くのクリスチャンたちが殉教の死を遂げていきました。
それにもかかわらず「こうして神の言は、ますますひろまり」(使徒言行録6章7節)と記されています。

3 聖書と科学
聖書は科学の本ではありませんが、その中には科学の分野に属するようなことも書かれています。それは一般の人が使う言葉で書いてありますが、正しい事実を述べているのです。2018年に国連が、現在から過去に遡って300年の間、世界における素晴らしい科学者300人を対象に、神を信じる人が何人いるのかについて調査しました。すると、8〜9割の科学者たちが神を信じていることが分かりました。
300人の内、神を信じないと示した人は僅か20人でした。一方、神を信じると明確に示した人は242人で、世界的に著名なニュートン、エジソン、X線を発見したヴィルヘルム・レントゲン、電池を発明したアレッサンドロ・ボルタ、アンドレ・マリ・アンペール(電流のSI単位のアンペアはアンペールの名にちなんでいる)、ゲオルク・オーム(電圧と電流と電気抵抗の基本的な関係を定義付けた)、キュリー夫人、アインシュタイン等々がその中に名を連ねています。
この世界を創造し、自然法則を与えたのは神ですから、科学を追求していけばいくほど、それは聖書の真理を示していくことになるのです。ヨブ記26章7節には「地を何もない所に掛けられる」と書いてあります。ヨブ記が書かれた時代(BC.1500年ごろ)にはまだ万有引力のことも知られず、人々は地球は何かに支えられていると考えていました。聖書のこの言葉は、聖書記者が神より示されて真実を書いたと考えなければ理解できないことです。
昔は肉眼で見える星を数えていましたが、預言者エレミヤは今から約2600年前に「天の星は数えることができず」(エレミヤ書33章22節)と言いました。紀元2世紀にアレクサンドリアで活躍した天文学者プトレマイオスは、有名な著書『アルマゲスト』の中に恒星の表をいれていますが、それには1028個の星が出ています。しかしガリレイが望遠鏡ではじめて空をながめた時、そこに無数の星を発見しました。それ以来大きな望遠鏡ができるにしたがって、数かぎりなく星が姿をあらわしてきています。
聖書の中には科学で説明できないようなこともありますが、科学はあらゆる問題に万能ではなく、その限界があることも認めなければなりません。しかしはっきり証明された科学の考えと聖書の言葉に矛盾はないのです。

4 聖書の写本
聖書の原本は今は残っていません。聖書が書かれた時代には、印刷機械はなかったので、聖書の原本は手で写した写本によって伝えられました。ユダヤ人の間にはマソリートと呼ばれる人々がいて、その人々は聖書を写すことを仕事にしていた学者たちです。彼らは聖書の言葉を重んじ厳密な注意をもって取り扱いました。写本をする前に原本の語数、字数を数えました。ですから彼らは旧約聖書の各巻がいくつの語、いくつの字からできているかを知っていました。また各巻のまん中になっているのはどの語であるか、また旧約聖書全体のまん中になっている語もどれであるかを知っていました。またある語が何回用いられているかも数えていました。写本と原本を比較して、もしちがっているものを発見した時には、その写本は「訂正しないで捨ててしまった」のです。このように注意深く取り扱われてきましたから、原本が誤りなく保たれてきたと考えてよいのです。
新約聖書についても同様なことが言えます。約1500年にわたって、欧州、アジア、アフリカなどで、多くの人々によって写本が行われ、また翻訳がなされましたが、それはやはり非常に厳格に、できるだけの注意をしてなされ、今日いろいろな国語で書かれた幾千の写本があります。
これらの写本について過去300年間にわたって広い学びが行われました。写本や訳本の語を調べて、そのちがっている所を全部まとめ上げたのです。その結果は、聖書のただー句でもその意味が根本的にちがっている箇所を見いだすことはできませんでした。発見されたちがいはたいてい、―つの語、多くの場合―つの文字で、これを全部考えに入れても、聖書の思想、聖句の意味に根本的な影響はないことが分かりました。つまり現在の聖書は、はじめに書かれた聖書の意味を十分に伝えているということです。

5 聖書の預言
聖書は多くの預言を含んでいます。神は預言を通して人間に将来に対する光をお与えになりました。聖書は、「あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ」(ヤコブの手紙4章14節)と言っていますが、ほんとうに私たちは、明日どんなことが起こるかを見通すことはできません。聖書の預言は、私たちを導く光です。
聖書の預言は、これからの未来や終末に関するもののほかは、ほとんど全部事実となってあらわれています。
ペトロの第2の手紙1章19-22節には、「こうして、わたしたちには、預言の言葉はいっそう確かなものとなっています。夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください。何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです。なぜなら、預言は、決して人間の意志に基づいて語られたのではなく、人々が聖霊に導かれて神からの言葉を語ったものだからです。」と言われています。聖書の預言は、人間の考えや見通しではなく、神がお示しになったものです。
聖書の預言を正しく学べば、私たちの将来を照らす光とすることができます。
聖書にはたくさんの預言と成就の歴史が記されていますが、「成就されたメシア預言」を読んでいただくと、実に多くの預言がイエス・キリストにおいて成就されていることが分かります。60のメシア預言がその通りに成就する確率を考えてみると以下のようになります。
旧約聖書のメシア預言がすべて成就する確率
モーセ五書と預言書(モーセの律法と預言者たちの書)だけに限定すると(使徒28:23)、60個の異なったメシア預言が成就したことになります。 そこで、60個の異なったメシア預言が全て成就する確率を計算してみます。 計算を単純化するために、仮に1つの預言が成就する確率を2分の1とすると、60個の異なった預言が全て成就する確率は、2分の1の60乗です。 2分の1の60乗を計算すると、115京(けい)2921兆5046億0684万6976分の1(=8.67361737988403547205962240695953369140625×10-19)となります。 この確率は、115京(けい)2921兆5046億0684万6976個の全く同じボールの中から、「当たり」である唯一のボールを、目隠しをして一発で引き当てる確率と同じです。
また、諸書も含めた旧約聖書全体を考えると、全部で約75個の異なったメシア預言が成就したことになります。 先ほどと同じように、75個の異なった預言が全て成就する確率を計算してみると、2分の1の75乗=377垓(がい)7893京(けい)1862兆9571億6170万9568分の1(=2.6469779601696885595885078146238811314105987548828125×10-23)となります。 この確率は、377垓(がい)7893京(けい)1862兆9571億6170万9568個の全く同じボールの中から、「当たり」である唯一のボールを、目隠しをして一発で引き当てる確率と同じです。
このような確率を考えると、数字の上では該当者など一人も存在するはずがないとしか思えませんが、実際には一人だけ、イエス・キリストという該当者が存在するのです。 実に驚くべきことです。

5 聖書の学び方
聖書は真理の宝庫です。人間の生活を豊かにし、孤独や寂しさを慰め、永遠の希望を与えるために、神がお与えになった言葉です。その言葉には深い意味があり、ただ表面的に読みながしても、その意味を十分にとらえることはできません。聖書を学んで、それがほんとうに私たちの心の糧となり、喜びと希望を与えるものとなるために、まず聖書の言葉の意味を深くさぐる心が必要です。また静かな心で黙想すると、聖書の言葉が心にふれてきます。
キリストは、「この方の御心を行おうとする者は、わたしの教えが神から出たものか、わたしが勝手に話しているのか、分かるはずである。」(ヨハネによる福音書7章17節)と言われました。これは聖書を読む時の大切な心がまえです。すなわち聖書を読んだら、それを実行しようとする心がまえです。実行してみると、聖書の言葉が真実なものであることがわかります。生活も考え方も変わってきます。そして私たちの心が成長してくるにつれて、聖書の言葉を深く味わうことができるようになります。
聖書は最初なじみにくいと思われるかもしれませんが、毎日読んでいると、心の支えとして一日でも読まないではおられないようになるのが多くの人々の経験です。
英国で2千人の孤児を収容した孤児院を、なんの財力もなく、ただ神にたよって経営したジョージ・ミューラーは、青年時代まじめな生活をしていませんでした。しかし二十才になった時、反省して信仰をもつようになり聖書を読み始めましたが、その意味がよくわかりませんでした。しかし辛抱して読んでいるうちに、ある日全く新しい経験をしました。その日から聖書はただの本ではなくなったのです。彼はその中に神の声を聞き、彼の生活は全く変わったものとなりました。聖書は彼の人生をみちびくものとなったのです。
聖書の読み方としてもう一つ大切なことは、聖書の言葉は、たとえばなしや歌や、詩的表現のほかはすべて字義どおりに受けとるということです。また聖書は聖書によって理解するという態度も大切です。
詩編119篇18節に「わたしの目の覆いを払ってください/あなたの律法の驚くべき力に/わたしは目を注ぎます。」と書いてありますが、心の目が開かれるにつれて、神の言葉のすばらしさが分かってきます。
ルカによる福音書24章に、キリストが二人の弟子に聖書を説明なさったことが書いてありますが、その時の経験が32節に「二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。」と記しています。神の言葉である聖書にふれることによって、あなたの心もあたたかく豊かになり、この弟子たちのように、「非常な喜び」(52節)を持つことが出来るようになるのです。

第2章 人生を導く聖書2 理解のために
1) あなたは、人生の確かな案内書はどういうものだと思われますか。
2)クリスチャンへの迫害や聖書を撲滅しようとする権力者たちによる迫害にもかかわらず、聖書が残されてきたのはなぜだと思われますか。
3) 聖書の写本の主なものを挙げて下さい。
4)聖書の預言と成就の歴史は何を表していると思いますか。
5)聖書の読み方・学び方について大切なことはどのようなことだと思いますか。
